第174号 障害者雇用の闇と光(下)

 前号では障害者雇用の闇の部分について書いたが、実際現場ではミスマッチが続いているのだ。
 行政側は障害者雇用に関して、自分たちには甘いくせに、努力をしていないと判断した企業に対しては、厳しい姿勢を貫き、最終的にはブラック企業として企業名を公表すると伝え、プレッシャーをかけている。
 そこには企業の尻をたたけば何とかするだろうと思っている姿勢がミエミエだ!
 だが、実際に企業側からは「障害者雇用はそんな甘いもんじゃない」と言う声があるのも事実だ。
 まず、企業は業務にとって必要な人を採用するという大前提がある。しかし、マッチングの難しさを考えれば行政が思っているほど人材はいないのだ。
 達成目標が2.2%とか2.3%だとか言っても、障害者手帳が基本的な判断基準なので、手帳を持っている人の数は限られているわけで、雇いたくても雇える人が存在しないというのが現実なのだ。
 このままさらに雇用率だけが上がっていっても、働ける障害者の奪い合いが起こり、やがて雇用の限界が来ると思う。
 なぜか??
 そう、医療の発達などにより、身体障害者の数は実は減っているのだ。さらに、現在では初期の頃に雇用した障害者の人たちが定年退職を迎えているのだ。
 それを見越して国は、数を補うために4月からは精神障害者雇用に踏み切ったのだが、精神障害者をどこで探すのか、どんな人がいるのか、働き続けてくれるのか、行政からのアドバイスはほとんどなく、すべて自己責任となっているのだ。

 そんな中、民間企業側は工夫して障害者のための仕事を見つけ、その中で喜んで働いてもらえるような仕組みを作ろうと努力している。
 例えばこんな企業も出始めている。
 障害者を雇用して自社の事業所で働かせるにはいろいろと難しい面もある。障害者ができる仕事がないという企業もあるだろうが、あっても、障害者用のトイレや手すりなどの施設が整備されていない場合もある。
 そこで、ある企業は、そうした困っている企業からの委託を受けて、障害者特に知的障害者や精神障害者を困っている企業内ではなく自分たちの事業所で受け入れ、代わりに障害者でもできる仕事を与えてあげるというウルトラCを考えたのだ。
 これはすごい!でも、知的障害者がやりやすい仕事ってどんなものがあるのか?
 例えば、農業だ!
 農作業は知的障害者などにも比較的合うといわれている。土や水を使って遊んでいる感覚で働けるというメリットもあるのだ。
 そこで、企業から受け入れた障害者にシステム化された農作業を教え、農産物を作る。
 障害者は、企業の職員なのだから、一般職員と同じような給料をもらい、福利厚生も一般企業だから手厚い。作業を教える健常者も企業は一緒に雇ってくれるので、農業を教える企業にとっては職員の給料を払う必要はない。
 障害者の親御さんも、自分の子どもが一流企業に就職できるので大喜び、一流企業も障害者雇用率をクリアできるので大喜び。受け入れる企業も企業から研修費などを貰えるので大喜び・・・
 つまり、みんなハッピーはシステムなのである!

 このように、なかなか難しいと言われている障害者雇用の世界も、優れた発想があれば解決できる道が開かれているのだ。

 今回の水増し事件を受け、法定雇用率の再度の見直しも必要ではとの声も聞こえる中、皆で知恵を絞り、少子化で外国人を受け入れるしかないと言われている働き手を、障害者の特性を生かして活用する道を模索し開発すべきだと思う。
 2020年には東京パラリンピックも開催される。そんな中、日本が本当に多様性を受け入れる社会になれるかどうか、時間はもう残されていない。急げ!!

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年10月)

第173号 障害者雇用の闇と光(上)

 最近の新聞紙上を賑わせた言葉に「水増し」があるが、水増しが出てくると「経費の水増し」とあ「定員の水増し」「数値の水増し」などなど不正のにおいがするのが一般的だ。
 今回の水増しは、「障害者雇用」なのだが、これが何を意味しているのか分からなかった方も多いのではないだろうか?
 そもそも「障害者雇用促進法」では、民間・行政機関に対し、一定の割合以上の障害者を雇うよう義務付けているのだが、今年の4月から障害者雇用の法定雇用率が民間では2.0%から2.2%に、行政機関は2.3%から2.5%に引き上げられたばかりなのだ。

 そして、その通りに障害者を雇用すれば何も問題ないのだが、障害者に与える仕事がないとか、障害者用のトイレがないとか、いろいろな理由を付けて、障害者を雇用するのを少しでも少なくしたいという企業や役所が後を絶たないのだ。

 そして今年8月、中央省庁全体で合わせて3460人に上る障害者雇用の水増しがあったことが発覚した。
 水増しはなんとビックリ実に42年間にもわたっていたというから、筋金入りの不正組織ではないか!

 加藤勝信厚労大臣は「率先して障害者を雇用すべき立場にありながら、こうした事態となったことは誠に遺憾であり深くお詫びを申し上げます」と陳謝したが、何のための法律を作ったのか全く意味がないような事件ではないだろうか・・・。

 どんだけ不正を働いたかというと、昨年6月の時点で国の33行政機関のうち、8割にあたる27の機関で水増しされ、法律で定められた雇用率2.3%(昨年)を実際には大きく下回り、平均雇用率はなんと1.19%だったそうだ。
 33機関のうち26機関が実際には未達成と判明し、17機関では1%未満だったというのだからビックリだ!

 厚労省の調査結果では、水増し数が最も多かったのは、国税庁で1022.5人。次いで、国土交通省の603.5人、法務省の539.5人だったそうだが、厚労省が一番多かったらシャレにもならなかったろう・・・。

 実はこの制度、行政機関と違って、民間企業は雇用率が未達の際に罰則として人数分「罰金」を支払わなければならない。

 だから、民間企業が必死に雇用者獲得に奔走している中で、行政が簡単にそれを違反しているという、全く許しがたい問題だ。

 民間には「罰金」というナイフを突きつけながら、身内の省庁は厚労省に報告するだけで済ませるという、チェックもないずさんな運用がまかり通っていたらしい。

 では、どのくらい企業は罰金を払っているかというと、これが驚いてしまうのだ。
 常時雇用している労働者数が100人を超える企業の場合、障害者雇用率が未達成の事業主は、不足する障害者数に応じて1人につき月額なんと5万円の障害者雇用納付金を納付しなければならない。10人分なら月に50万円。100人分なら月に500万円だ。年に1億円以上の罰金を払っている企業は山ほどあるらしい・・・

 企業にとっては、経営を圧迫するほどの数字と言っても過言ではないだろう。

 一方、これをちゃんと達成している場合は、その人数を超えて雇用する障害者数に応じて1人につき月額2万7000円の障害者雇用調整金が支給されるのだ。
 まさに「あめとムチ」の制度と言えるだろう。

 ただ、罰金だけなら、その方がありがたいと思って素直に払う企業も多いという。
 そういう企業が多いものだから、国はさらにナイフを突きつけたのだ。

 なんと、国は法定雇用率を達成しなければ社名を公表すると、脅しみたいなことを言い始めたのだ。

 世間に知られていないような会社なら公表されてもよいだろうが、CMなどに登場する企業にとってイメージダウンは計り知れないだろう。

 そんな矢先の行政機関の水増し発覚だ!
 行政は逆に、民間よりも高い雇用率をきちんと維持し、だからこそ民間では努力が足りないところから納付金をもらうという理屈が成り立つのではないか。

 模範となるべき行政がちゃっかり違反しても水増ししてごまかし、民間には厳しく調査して違反した企業からは罰金を取るというのは、まるで江戸時代の悪代官と庶民のような感じではないか。

 いや待てよ!これは今でもよくあるのではないか・・・
 「しっかり仕事をしろ」を言う社長がゴルフばっかり行っていたり、犯罪を取り締まるはずの警察官が盗撮で逮捕されたり、なんだか現代にもよくあるパターンなのかもしれない・・・。

(次号に続く)

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年9月)

第172号 監督も規制もない非営利団体の謎

 先日、会員となっている学会の学術大会に出たところ、面白い講演があった。
 某大学の有名な先生の講演であったのだが、大学教授の講演とは思えないほど、現場のどろどろしたところに突っ込んだ内容だったのが印象的だった。
 タイトル自体は「非営利法人における実質的分配可能性」という、大学教授らしい堅い内容の研究という印象だったのだが、始まってみるとこれがびっくり、一般社団法人や一般財団法人がどうやって法の目をごまかして、非営利法人とは名ばかりの行為ができるのかという、かなりエグイ内容だったのだ。

 もちろん、講師はそういう危険性があるので、このままの法律制度でよいのか?という疑問を投げかけたかったのだと思うが、第3セクターなどは、残余財産の帰属が平気で行われている話とか、同族的な一般社団法人が役員報酬で実質的な分配行為をしている話とか、役員の会社と取引して剰余を取引価格に上乗せする話とか・・・。それはそれはなかなか興味深い講義だった(笑)
 というのも、私も前からおかしいと思っていたから面白かったのだ。

 そもそも、一般社団法人や一般財団法人は、かなりグレーだ。いや、悪い団体があるという意味ではない。
 法制度がかなり緩いという意味だ。
 まず、監督官庁が全くないことと、非営利型の場合、収益事業をしていなければ税務署への申告もないという点だ。
 これでは、収益事業をしていても税務申告をしなければ、誰がそれを発見し、咎めて止めさせられるのだろうか・・・。
 昔よくいたが、「NPO法人って税金は免除なんですよね~」としらばっくて税金を一切納めず、収益事業をしている悪徳団体と同じだ。

 そもそも、一般社団法人は税制上2つに分かれていること自体おかしな話ではないか。
 片方はNPO法人と同じく非営利型と言って、収益事業だけが課税対象。もう片方は、株式会社と同じく全所得が課税対象。こっちは呼ぶ名がないが、普通型といえばよいだろうか。非営利法人なのだからまさか「営利型」とは言えまい。
 その非営利型は、当然条件があるのだがこれもいい加減だ。
 例えば、一般社団法人の場合には、理事の3分の1要件があり「各理事について、理事とその理事の親族等である理事の合計数が、理事の総数の3分の1以下であること。」というくだりがある。
 親族であるかどうか戸籍謄本でもないとわからないはずだが、その提出はない。
 地方に行けば同じ名前の人ばっかりいるが、名前が同じだからと言って親族とは限らない。だから、役員が全員山田さんであっても、親族ではありませんとしらばっくれれば、非営利型になってしまう可能性もある。

 まだまだある。「剰余金の分配ができない」と定款に定めても、剰余金になる前に寄付をしてしまえば剰余金ではない可能性も出てくる。
 もちろんそんなのダメだが、それを調べて咎める組織がないのだ。
 それなのに、「一般社団法人日本○○○○機構」とか「一般財団法人○○県○○協会」などといえば、一般市民は「立派な団体だ」とか「お役所みたい」と思って信用してしまうだろう。

 やはり、非営利団体は多かれ少なかれ税制優遇などもあるので、どんな組織であっても監督官庁くらいは必要ではないかと思う。
 その点、NPO法人は監督官庁があるから、まだマシのような気がする。
 公益制度改革が終わって、すでに5年たとうとしているが、もう一度ここで非営利法人の在り方を考えてみるべきではないだろうか。

 そんなこと言ったら自分が入っている草野球チームも税金を納めることになるかも・・・
 と心配する人もいるだろうが、法人格がないサークルや同好会はそのまま変えなくてよい。
 とくに、スポーツは「監督」がつきものだから・・・お後がよろしいようで~(笑)

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年8月)

第171号 NPOのような企業が儲かるの?

 「インパクト投資」をご存じだろうか?
 社会によいインパクトを与える企業に対して投資を行い、社会的な課題を解決し、かつ、投資リターン獲得を両立させることを目標とするものである。
 簡単に言うと、株などで儲けようと思った人が、今までは「これから伸びそうな企業」、「利益を大幅に伸ばしている企業」「新しい製品やシステムを開発した企業」などの株を買っていたのだが、それが最近は、社会のためになることをしている企業の株や投資信託を買い始めたということなのだ。
 一つの例として、貧困問題を解決するマイクロ・ファイナンス企業への投資が「インパクト投資」で、投資先の分野の頭文字である環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance=企業統治)の頭文字をとって、「ESG投資」とも言われている。
 そんなバカな・・・社会貢献なんて儲かるわけないじゃん・・と思っている人もいるだろうが、そうでもないのだ。
 その証拠に、ESG投資に関して言えば、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も、国内株式を対象にした「ESG指数」を選定し、企業が公開する情報をもとにESG要素を加味して銘柄を組み入れ、それぞれの指数に連動する運用を始めているのだ!

 えっ、私たちの年金が、社会貢献企業を選んで投資しているの? 大丈夫??
 と心配になった人もいるだろう。
 だが、実は、世界でも日本でも「インパクト投資」や「ESG投資」は注目され始めているのだ。
 なぜだろうか?

 あるインパクト投資ファンドの具体的な投資先を見てみると、投資カテゴリー・テーマ別構成比については、衣食住の確保36.1%、環境問題32.7%、生活の質向上31.2%となっている。
 国別構成比については、上位から、米国46.1%、インド8.2%、ブラジル6.1%である。2018年2月末現在、組み入れ銘柄数は59銘柄なのだが、59銘柄の内、最も構成比率が高いのは、ケニアの携帯電話会社「Safaricom Limited(サファリコム)」(構成比3.4%)であった。
 「Safaricom」は、"「M-PESA(エム ペサ)」というサービスを提供し、利用者は携帯端末を使って送金、光熱費や授業料といった日常の支払いができるらしい。

 そして、利用者はサファリコムの窓口に行き、送金額と手数料を支払う。その後、送金相手に携帯電話で送金額を伝えるSMS(ショート・メッセージ・サービス)と暗証番号を送る。メッセージを受信した相手は、サファリコムの窓口でその画面と暗証番号を提示すれば、現金を受け取れる。銀行を介しないこの送金法は、銀行口座を持たない貧困層の間で瞬く間に広まっているのだ!
 まさに貧困層の暮らしを助けるための会社なのだ!
 他の投資先もほとんど、再生可能エネルギーによるCO2排出量削減、情報格差解消による経済格差解消、医薬品や遺伝子改良による新興国の飢餓や栄養失調の解消、低金利の住宅ローン融資による低所得者層が家を所有することを可能に・・・などなど、まさに社会のため、人のため、という企業がほとんどなのだ!

 何かに似ている・・・そう、まさにNPOなのだ! NPOのような企業が投資家に選ばれ、これからますます大きく強くなっていくのである。
 これは本当に素晴らしいことだと思う。
 日本ではパチンコ屋は上場できないらしいが、上場できたとしても、そういう企業の株は、たとえ売り上げを伸ばしていても誰も買わないだろう。
 NPOや公益法人は、非営利の原則があるから株を発行してはいけない。だから残念ながら上場できないが、まさに、投資家はNPOのような企業がこれから伸びていくと信じているのだ。

 あなたも株などの投資をやっているなら、自身の経済的利益も確保しつつ、より良い世界を作ろうという意志を持って投資してほしいと思う。探せ! NPOのような企業をだ!!

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年7月)

第170号 どこへ行く日本人のフェアプレー

 2月号のこのコラムで、オリンピックでのスピードスケートの小平選手のことを、「日本人の奥ゆかしさが素晴らしい」として皆様に感動をお伝えしたのは今から5か月前のことである。
 開催地・韓国の国民的英雄である李相花(イサンファ)選手の「五輪3連覇」が未完に終わった瞬間、金メダルが確定した小平選手が韓国国旗(太極旗)を手にしながら泣きじゃくる李の姿を見つけ、李選手のそばにそっと近づき、なんと彼女を労わるような表情でギュッと李選手を抱きしめたあのシーンである。
 「日本人でよかった!」と誰もが思った瞬間であった。

 が、しかし、今回はその全く逆のことが起こったのである。
 そうそれは、今回のサッカーのワールドカップ大会の日本対ポーランド戦である。この試合で勝つか引き分ければ、日本は悲願の決勝進出というあの試合だ。
 夜遅くではあったが夜中ではないため、日本人であれば大人も子どももみなテレビの前に釘付けだったことだろう。
 しかし、この試合で事件は起こった。
 セットプレーから失点した日本が1点を追っていた80分過ぎ、他会場ではコロンビアが先制し、そのまま試合が終了すれば、セネガルとフェアプレーポイントの差で日本は2位通過が可能とわかった瞬間である。
 なんと残り10分以上もあるというのに、監督からの指示によって、日本は自陣でゆっくりとボールを回し、まったく攻撃に出ることはせず、0-1でわざと負けたのである。
 結局、コロンビアがセネガルを下したため、決勝トーナメント進出を果たした日本だったが、試合終盤のリアリスティックとも言える振る舞いには、世界中から非難の声が殺到した。
 この大会はここまで、日本の戦いは本当に素晴らしかったと思う。しかし、このラスト10分の展開は全くもって恥ずかしいし、W杯では見たくない茶番劇だったから、多くの子どもたちには絶対に見せたくなかったし、マネしてほしくない光景だった。
 日本人であることが恥ずかしいと思った瞬間である。

 もちろん、悲願の決勝トーナメント進出という結果を追い求めたなかでの、究極の選択だったし、それで現実決勝トーナメントでは、負けたとはいえ強敵のベルギーに善戦したことを思えば、それはそれで評価できるのかもしれない。そして、なぜか日本のマスコミもそれほど批判していない。
 だが、お隣の国の話ではなくサムライ(武士)をイメージにしている日本がこうしたアンフェアなプレーを行うというのはいかがなものだろうか?
 勝てば官軍とばかり、サッカーファンはそれほど重視していないようだが、私は嫌だ。

 サッカーばかりではない。プロ野球でも、終盤になると必ず問題になるのが首位打者争いだ。
 ある選手が最後の方で打率を上げ首位に躍り出ると、必ずそのあとの試合を休む(または守備のみ)という行為がよくある。
 このような行為は日本のプロ野球では昔から行われていて、これは当然のこととして行われており、それほど物議をかもしてはいない。
 しかし、一方、アメリカ大リーグに目を転じると、全く逆の現象が生じているようである。上記のような日本のプロ野球のごとき行為にはまずお目にかからないし、このような行為はフェアプレー精神に反し恥ずべきものとされている。
 かの昔、テッドウイリアムス選手が1 試合を残して 4 割ジャストをマークしていた時、監督がその試合を休むことを進言したが、テッドウイリアムス選手は敢然として出場し,多くの安打を放ってさらに打率をあげ、最終打率を4 割 6 厘としたことなど、外国の方がよっぽど潔いしサムライ魂という感じだ。
 また、試合で大差がついた場合に、勝っている側のチームが追加点を取ろうとしてバントや盗塁をすることは、日本ではよくあることであ、より確実に勝利を得るために賞賛されるが、一方、外国ではこのような行為は敗者をいたぶることとして非難を浴びるのだ。

 これらのフェアプレー精神やその根本である文化は、それぞれ人種の相違、各国の歴史、宗教などの相違に起因しており、このこと自体は各国、各国民の個性の現れであり、尊重すべき事項ではある。
 しかしながら、国際化(グローバリゼーション)はますます進み,国家間の垣根が低くなってきて国際交流が進展する中、外国での評価や常識にも目を向けないといけないと思う。
 それなのに、勝つためには手段を択ばないという手法が蔓延しているのが気になる。

 なぜだろう?

 そうだ、その原因は日本の政治だ!
 前回の総選挙を思い出してほしい。
 民進党が離党騒ぎでドタバタだし、小池新党はまだ候補者もほとんど決まっていないほど準備不足だった。その上、北のおぼっちゃま君がミサイルを発射し続け、核実験をすればするほど、国民は右翼的な傾向が強まっていたあの時期。
 さらに、モリ・カケ問題で窮地に追い込まれ、支持率が急降下してしまった自民党が、勝てるとしたら今しかないとばかりに、全くの大義名分もなく、突然解散総選挙をしてしまった、あの安倍ちゃんの暴挙のことだ。
 勝てば手法は選ばないというのは政治家がそのお手本だったのである。情けない・・・
 さらに、不正を隠し続ける経済界も同じ穴のムジナだ!

 政治・経済・スポーツ、どうしてこうなっちゃったのであろう・・・。

 魯迅の言葉に「打落水狗(水に落ちた犬を打つ)」がある。これは、既に打ち負かされたがまだ降参していない悪人を更に追い打ちをかけてやっつける・・・という意味で政治家や経済界では大変評価されている言葉だが、勝つためには手段を選ばない「勝てば官軍」という風潮は、このころからあるのかもしれない。

 だが、我々非営利分野で生きる者は、絶対に「溺れた犬は助けて保護する(困った人に手を差し伸べる)」。それが本当のフェアプレーなのだ。
 今回の西日本を襲った大雨の被害者の方のご冥福を祈りつつ、特にその意味をかみしめたいと思う。

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年6月)

第169号 いい加減にしろ!日本人の判官びいき

※注意 今回のコラムは過激すぎるので、テレビを毎日見ている人は読まないでください。

 最近、本当にイライラさせられるのが日本人の判官びいきだ!
 いったいどこまでこの行き過ぎた判官びいきが進むのか本当に怖いと思っている。
 そう、判官びいきとは、辞書で調べてみると、"源義経のような不遇な英雄に同情すること。また、弱い者や負けた者を第三者がひいきすること"とある(旺文社・国語辞典)。
 誰だって知っていると思うが、鎌倉時代に生きそして散った源義経(源九郎判官義経)が、強い武将だったものの実の兄に疎まれ、さらには味方の裏切りにあり命を落としたその生涯から、悲劇のヒーローというイメージが定着し、名前をもじって「判官びいき」という言葉を作ったほど、日本人は「源義経」が大好きだ。

 忠臣蔵でおなじみの赤穂藩の旧藩士47人が江戸・本所の吉良邸に討ち入って、吉良上野介を暗殺したのも、大勢の侍が年寄りを襲うなんてひどい話のはずだが、自分たちの大将が吉良上野介に日頃いじめられていたという部分が拡大解釈され、暗殺者でテロリストのはずの47人がたちまちヒーローとなっていまったのも、同じく判官びいきによるものだろう。

 最近それが顕著だったのが、小池百合子東京都知事ではないだろうか?
 都知事選の時、自民党に彼女がいじめられていると知った国民は、全く政策も何もない彼女に肩入れし、都知事に押し上げてしまったのだ。
 そのあとが面白い。
 今度は小池さんが、向かうところ敵なし状態になると、自ら立ち上げた「希望の党」への追い風が、「排除します」という言葉をきっかけに逆風に変わり、悪代官になった小池さんに対して今度は国民が怒り、排除されいじめられた側の枝野さん率いる「立憲民主党」が予想以上に票を集めたというのも、間違いなく選挙の結果は、兄の源頼朝に追っ手を差し向けられた義経が、逆に鎌倉に攻め上るがごとくである。

 そして、極めつけは今回のアメフトやレスリング問題も、みんな判官びいきが影響しているのだ。
 私は大学時代、アイスホッケーをしていたので、あのアメフトの状況は手に取るようにわかる。
 ディフェンスである私への監督からの指示は常に「○○○(シュートを打つ相手)をつぶせ!」だった。
 ただし、つぶせと言っても暴力をふるえとかファールをしろという意味ではない。パックも追わないで、体当たりだけしてファールを取られると、必ず怒られたものだ。
 友人がアメフトをしていたので今回のことを聞いたが、「○○○をつぶせ」は当然毎回言われたらしい。スポーツ選手が今回の問題で監督を非難しないのは、自分たちもそうしてきたからだ。
 皆さんにわかりやすく翻訳すると「つぶせ」とは「良いパスを出させないように、その前にしっかりタックルしろ!」という意味だ。
 世界共通、どのスポーツでも、シュートをする選手をしっかり防ぐことを乱暴だが「つぶせ」と言ってしまうのだ。
 きっと、「お倒しになされ!」とか「おつぶしあそばせ!」と言えばよかったのだろうか・・・。
 しかし結果は誰もが知っているが、相手チームの監督も同じことを言っているだろうが、指示した監督やコーチは「この犯罪者!」「こいつらを警察に突き出せ!」という世の中の猛パッシングを受け、この業界から抹殺されてしまった。
 それなのに、指示されたことをちゃんと理解できずにファールを犯した選手は「頑張って復帰してほしい」となる。
 当然倒されたほうもヒーローだから、きっと卒業後は民放のスポーツアナウンサーかコメンテーターだろう。

 レスリングも同じではないだろうか?
 ろくに練習もしないで、コーチとイチャイチャしてばっかりいる?かつての金メダル保持者に対して、業を煮やした鬼軍曹監督が怒りの鉄拳をおろし目を覚まさせようとすると、世の中は「あのハゲを追放しろ!やめさせろ!」の嵐だ。

 だが、練習もしないでヘラヘラしているようでは、金メダルはもちろん日本代表にもなれないだろう。

 いかついマッチョの選手がコーチからビンタされても誰も文句は言わないだろうが、それが可愛い女性だったりすると、もう日本人特有の判官びいきが吹き荒れるのだ。
「セクハラ、パワハラ、モラハラ」とネットは炎上し、世間からは白い目で見られ、やがて日本から厳しい優秀な指導者が消えていくのである。

 テレビのコメンテーターも炎上が怖くてみな選手の味方になるのである。
 これでは強い選手は育たないし、金メダルも優勝もどんどん遠ざかってしまうだろう。

 優秀なスポーツ選手は誰だって、信じられないくらいの厳しい指導を受けて成長しているのだ。
 よく、プロ選手や金メダル保持者が引退し、OBとしてそのスポーツに参加すると、「こんなにが楽しくやったのは初めてです」とか「今まで一度も楽しいと思ってやってこなかった」と発言することが良くあるが、まさに血の出るような努力と厳しい指導を受けてその地位を勝ち取ったのだろう。

 こうして毎日毎日、強い側が非難され、弱い側がもてはやされるという風潮はかなり危険だと思う。
 弱いといっても、決して障害者や高齢者、母子家庭などの社会的弱者という意味ではない。
 会社が強者でサラリーマンが弱者、上司が強者で部下が弱者、監督が強者で選手が弱者、公務員が強者で市民が弱者、という意識が根強く、常に後者に味方していては、資本主義社会や強いチームは成り立たなくなると思う。

 本当に強い社会、会社、チームを作るためには、日本人の判官びいきはかなり危険なハードルとなりつつある。
 恐らく今後の日本は、金メダルやワールドカップで優勝などというものとは無縁になってしまうのではないだろうか。会社も遠慮して週3日制でノー残業が当たり前となり、人件費に比べて売り上げが下がり、ほとんどの会社がつぶれていくような気がする。心配でしょうがない。

 と、そんなことを言っていた人がいたんですが、皆さんはどう思いますか?
 えっ、お前はどうかって?
 もちろん、上の者が悪い! 弱い者の味方ですよ~(笑)

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年5月)

第168号 補助金と助成金ってどこが違うの?

 よく「NPO法人を作ると、補助金か助成金は貰いやすいですか?」という質問が寄せられることがある。
 「公益法人になったので、補助金ってもらえないものですかねえ」などという、露骨なお願いも時に来ることがある。
 恐らく、新聞やニュースなどで、「公益法人が5億円の助成金で新エネルギー開発に着手」とか「NPOが1億円の補助金を不正に受給」などという記事を見て、何となく非営利団体って、どこかからお金がもらえそうだなあ・・・と思ってしまうのだろう。

 もちろん、そんなうまい話があるわけがない! いや、ちょっとはあるかもしれない(笑)
 それが、補助金や助成金なのだ。

 ここでいう補助金や助成金というのは、助成財団から配られる「子ども支援助成金」とか「環境保護助成」のことではない。
 どちらも国や地方自治体から交付される、返済義務のないお金のことである。みな、そんなものがあればほしいと思うのは当たり前だろう。

 今月からこの会報でも、政府系の助成金の話を掲載し始めたが、知らないと損をするような助成金や補助金というのは確かにあるのだ。

「じゃあ、どうやって申請すればいいの? どんなものがあるの?」と、思う人も多いだろう。

 そこで、今回は特別に、政府系の助成金や補助金の話をしよう。
 ただ、最初に断っておきたいのは、政府系の助成金や補助金を単なる「タダでもらえるお金」としてとらえてはいけないということである。

 政府系には国の考えが、自治体系には自治体の考えがあるのだ。その目的や方針に従ってくれる法人に対して、政府や自治体が「少しお金をこちらが払いましょう」というものなのである。
 つまり、まずはその目的や意義を理解しなければならないのだ。

 まずは助成金とは何か。
 これは、ある目的を実現するために努力や工夫を行った法人に対して交付される「ご褒美」のようなものである。
 特に厚生労働省が実施する雇用関係の助成金は、一般的な融資や補助金とは大きく趣旨が異なり、「もらうこと」が目的ではなく「さまざまな労働環境の整備を行う」必要があるのだ。

 たとえば、非正規社員を減らしたい国の考えが「正社員化」の助成金となり、子どもを増やしたいので「育児休業の活用」「企業内保育」の助成金となる。
 政府は、雇用環境の悪化を問題視しているので「有給休暇の増加」や「残業時間の削減」の助成金もある。

 ただ、気を付けたいのは、これらの助成金をもらうために、それを実施したところですぐには法人側には効果は現れないということだろう。
 それどころか当面はマイナスの影響が出ることもある。

 「社員の教育を行う」と助成金がもらえるからと言って実行に移すと、教育期間中は生産活動ができないので、売り上げが落ちるかもしれない。
 パート社員を正社員にすれば助成金がもらえるからと言って実行に移すと、人件費が増加する。
 子育てを応援すれば助成金がもらえるからと言って実行に移すと、社員が育児休業を取れば現場の戦力がダウンするだろう。
 まだまだある。残業を減らせば助成金がもらえるからと言って実行に移すと、業務時間が足りなくなるため、どこかにそのしわ寄せが来るだろう。

 しかし、当面のマイナスを我慢できれば、プラスに転じてくるのも助成金の特徴でもある。
 つまり長い時間をかけて徐々に効果が現れてくるのだ。
 教育によって知識や技術のレベルが上がった社員は、より優れた仕事をするようになるだろうし、パート社員は正社員になることで責任感が強くなり、会社への貢献度が上がるだろう。
 育児休業の利用率が高まれば、その都度業務の見直しを行って無駄をなくしたり、育児休業からの復帰が円滑に行われる企業として社会に好印象を与えることもできる。
 仕事の効率化を進めて残業を減らすことができれば、社員のワークライフバランスが改善し、満足度も上がり退職者が減るだろう。

 ではなぜ、大半の法人は知っていてもこの助成金に着手しないのだろうか?
 それは、「やった方がいいと分かっているけれど、今すぐには影響がないし、面倒だし、お金がかかって大変だから、やらない」と感じて着手しないのだろう。

 実際、政府の方針に共鳴しないで、子育て支援も、教育や正社員化をしなくても、法人経営を続けていくことができるからなのだ。
 だからこそ、政府は、社会のために「面倒くさいしお金がかかって大変なこと」を行ってくれた法人に対して、ご褒美として厚生労働省がお金を交付する。それが助成金なのだ。

 ただ実際、雇用関係の助成金は多くても数百万円程度と、努力のわりにもらえるお金が少ないのも事実である。
 だから経営者は費用対効果を十分考えないといけない。
 教育プログラムを作って実行したり、就業規則を変更したり、業務効率化のために新しい設備を導入したりしても、もらえるのは微々たる額だ。
 その割に、支払った労力や費用は結構多く、まったく見合わないということも多い。だからこそ、事業主は慎重に考えてほしいのだ。

 よって、雇用関係の助成金は「お金をもらうために申請する」ものではなく、あくまでも「労働環境を改善するためにさまざまな努力をした結果としてお金をもらえる」と考えてほしい。
 労働環境が改善すればよいことはたくさんあるのだから、法人の雇用環境が良くなるだけなのに、政府からお金がもらえるなんてラッキーと思ってほしい。
 家庭の環境改善を図るため、奥さんの機嫌を直そうと、飲んだ後に手土産を買って帰る場合は出費しかないが、労働環境を良くしてお金がもらえるなんて実にラッキーだろう。


 さて、それに対して補助金はどうだろう。

 その名の通り「補助」するためのお金なのだが、何を補助するのかと言うと、事業に必要な設備投資費、自社ホームページの作成費用、販路を開拓・拡大するための展示会費や広告費、新商品開発のための研究費など、事業活性化を図るために不足しているお金を補う、という性格のものなのだ。
 そのため審査には、きちんとした事業計画書が必須であり、面接の際には事業計画書をもとに、この事業がどのように社会の役に立つか、どのようなニーズを満たし、社会にどのような影響を与えるのか等を、第三者に伝わるようにアピールしなければならない。

 たいていの補助金は、経済産業省または地方自治体に書類を提出し、審査と面接を受けることになる。
 そして、「この事業は社会の役に立ち、成長する見込みがある」と判断されれば補助金事業として認められ、事業完了時にかかった費用の一部が補助されるのだ。
 あくまでも一部補助が原則だから、1円もお金をかけないで、全部お金を出してもらおうというものはない。だって、「補助」金なのだから・・・。

 ということで、助成金と補助金の違いはお判りになっただろうか?
 たとえて言うと「家庭環境を考え、奥さんに家事をしない日を与え自分が率先して手伝ったら、そのご褒美としていくらかお金がもらえた」というのが助成金。
 奥さんの家事を楽にしようと新しい掃除ロボットを開発したら、その開発費の半分を補助してもらった」というのが補助金だ!
 よっぽど、福島は奥さんに頭が上がらないのか?という声は無視することにするが・・・。

 そうそう、それと気を付けたいのは、助成金の場合、受けるための資格要件を満たせば、ほぼ受けられるが、その一方、補助金の場合、申し込んだ法人の全部が受けられるとは限らない。
 補助金をもらえる法人の数には限りがあり、どんな事業に使うのか、社会に役立つ事業なのか、書類を作成してアピールし、勝ち取る必要がある。
 まあ、宝くじよりも確率は高いのだから、事業に自信があれば、チャレンジしてみてほしい。

 ただ、どこにどういう補助金や助成金があるのか、もらいやすいのか難しいのか、自分たちの法人の事業に合う助成金や補助金を探し出すことは、素人には困難と言っても過言ではない。
 あなただって、自分で最良の伴侶を選ぶのは至難の業だろう(笑)

 ということで、そういう場合はまず相談だ!
 手前みそになるが、公益総研には資金調達に詳しい専門家もいるので、一度相談してほしい。
 いや、間違っても「奥さんの機嫌を良くする方法」は教えないよ~(笑)

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年4月)

第167号 認知症問題は国会にあるのかも・・・

 先日、判例を勉強するセミナーを聞きに行ったのだが、本当に考えさせられる事件で、いったい何が法律なのかわからないようなことがあった。
 それは、覚えている人も多いと思うが、2年前のJR東海事件の最高裁判決だ。
 平成19年12月7日、愛知県大府市で責任能力がない認知症の男性(当時91歳)が徘徊して電車にはねられ死亡。男性は当時「要介護4」の認定を受けていたが、同居していた当時85歳の妻らが目を離したすきに男性は外出していた。事故後、JR東海と遺族は賠償について協議したが合意に至らず、22年、JR側が「運行に支障が出た」として遺族に720万円の支払いを求めて提訴したあの事件である。
 認知症の家族が鉄道会社への賠償責任を負うかが争われ、明日は我が身と多くの人が注目していたのでないだろうか。

 結論から言うと、上告審判決で、最高裁第3小法廷が、男性の妻に賠償を命じた2審名古屋高裁判決を破棄し、JR東海側の逆転敗訴を言い渡したのだが、地裁、高裁、最高裁がすべて違う判決を下した前代未聞の事件かもしれない。
 争点は認知症高齢者を介護する家族の責任、つまり監督義務だ。
 民法714条では、認知症などが原因で責任能力がない人が損害を与えた場合、被害者救済として「監督義務者」が原則として賠償責任を負うと規定しているのだ。
 つまり、認知症の人が何か事件を起こしたら、家族が責任を負わされるというのが法律の原則なのだろう。
 なるほど確かに、認知症の人は徘徊したら何をするかわからないのだから当然と言えば当然だが、家族にとってはとても厳しい法律ともいえる。
 だから、1審の名古屋地裁は、法律通り「目を離さず見守ることを怠った」と男性の妻の責任を認定し、さらに同居していない長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通り720万円の賠償を命令したのだ。

 うーん、考えさせられるが、電車の人身事故は、利用者にとても大きな影響を及ぼし、多くの人に相当の迷惑をかけるのだから、それはそれで納得できる判決かもしれない。
 特にこのケースでは、別居といってもこの長男は、家族会議を開き、自分の奥さんを自分が住む神奈川県からお父さんの家の近くに住まわせ、介護をさせ、さらにお父さんの家にセンサーを付け徘徊を防止するなどして介護の方針を決定していたとされているのだ。
 しかし、認知症を抱える家族らから「同居していない家族に責任を負わせれば、家族による積極関与が失われ、介護の現場は崩壊する」と反発が出ていたのも事実。

 ところが、次の2審の名古屋高裁は「20年以上男性と別居していた長男は監督者に該当しない」として、長男への請求を棄却し、妻の責任だけを1審に続き認定し、359万円の支払いを命じたのだ。
 遠距離にいる人が監視できるわけがないのだから当然と言えば当然の判決かもしれないが・・・。

 でも、長男の妻はお父さんの介護者として世話をしていたのだから、長男の妻の責任が問われてもおかしくないが、実の父親ではなく、義理の父親ということで責任が問われないというのも、何だか日本的な感じがする。外国では考えられないだろう・・・。

 さて、2審は男性の妻であるおばあさんだけの責任を認定したのだが、おばあさんは同じく高齢の上、「要介護1」の認定を受けており「監督義務を負わせるのは酷だ」として、この判決にも世間の批判が多かったようだ。
 まあ、85歳のおばあさんに91歳のおじいさんの全責任を負わせるのは、いくら法律といってもやはり酷だろうと思う。

 でもって、最終的に最高裁が大逆転で、おばあさんにも責任がないと判断したのだ。
 3つの裁判を経て、最終的に責任者が誰もいなくなったという、大変珍しい裁判であった。
 ただ、この判決によって、認知症の人の家族の責任がなくなったわけではない。
 監督責任はやはり家族にあるのだが、遠くの家族と介護状態の家族が外されただけである。
 であれば、誰に責任はあったのか?
 鉄道会社にとてつもなく大きな被害を与えたのに、誰も責任を負わないというのもどうも腑に落ちない。
 長男の妻は近くにいたし、介護もしていたのだが、直系血族ではないからこれも除外か?
 となれば、監督者が存在しないということになる。
 果たして、監督者が存在しない認知症の高齢者が存在するということは法的に問題ないのだろうか?
 こうした問題は、おそらくこの家族だけのことではないだろう。

 というのも、厚生労働省は、認知症とその予備軍とされる「軽度認知障害)」の人口は862万人(65歳以上の4人に1人)存在すると発表しているのだ。
 もっというと、2025年には65歳以上の2人に1人が認知症またはその予備軍になると言われている。
 であれば、監督するものがいない認知症の人が数万人いや数十万人いるかもしれない。
 そう考えると、あっちでもこっちでも事件や事故が起きてもおかしくはないだろう。

 裁判の結果に喜んでいるよりも、こういう監督者のいない認知症の高齢者を減らす、若しくは無くしていく政策が必要だろう。
 それとともに、3つの裁判所がすべて違う判決を下したということからもわかるが、高齢社会における認知症患者の問題は、まだ始まったばかりなのかもしれない。

 これからもっと大変な問題、解決不可能は問題が出て来ると思うと、恐ろしくなってくる。
 くだらない問題で国会を空転させ、自己保身に走るような政治家は、このことを決して忘れてはいけないと思う。
 待てよ・・・。都合の悪いことはすぐに忘れてしまう政治家こそ認知症なのかもしれない。
 「記憶にございません」ではなく、早く認知して解決してほしいものだ。

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年3月)

第166号 日本人の奥ゆかしさって外人に伝わるの?

 平昌(ピョンチャン)オリンピックも無事に終わった。
 お隣の国だから珍しく寝不足にならなくて済むオリンピックなのはありがたいもので、競技を心置きなく楽しんだ人も多かったことだろう。
 しかし、このオリンピックのハイライトは何といっても、スピードスケートの小平奈緒選手ではないだろうか?
 金メダルを取ったことはもちろん素晴らしいが、それよりも彼女の金メダル確定後の行動が素晴らし過ぎる!
 今まで、オリンピックに限らず、たくさんのスポーツ競技を見てきたが、過去最高のシーンに巡り合えた気がした。
 その行動とは、スピードスケート女子500mで小平選手が金メダルを獲得した直後のことだ。
 開催地・韓国の国民的英雄である李相花(イサンファ)選手の「五輪3連覇」が未完に終わった瞬間、小平選手の金メダルが確定したわけであるが、日の丸を肩に掛け、歓喜に浸りながらウイニングランをしていた小平選手が足を止めたのは、韓国国旗(太極旗)を手にしながら泣きじゃくる李の姿を見つけたときだった。
 小平選手は神妙な顔をして李選手のそばにそっと近づき、なんと彼女を労わるような表情でギュッと李選手を抱きしめたのだ。
 その時、「チャレッソ(韓国語で『よくやった』の意味)、サンファ、たくさんの重圧の中でよくやったね。私はまだリスペクトしているよ」と彼女にささやいたらしい。
 李選手も小平選手に「ナオこそ『チャレッソ』よ」と返し、小平選手にしがみついたのだが、こんな行動は今まで見たこともない光景だった。うれし涙にくれる優勝選手をコーチや監督が抱きしめるのはよく見るが・・・。
 もともと彼女たちは仲の良い友人だったと後から知ったが、それにしても小平選手の行動は前代未聞のことではなかっただろうか。
 優勝した選手が、2位の選手を抱きしめて慰め、お互いをねぎらうなんて・・・。

 私が最もびっくりしたのは、その時、小平選手が全く笑っていなかったことだ。
 悔し涙にくれる娘を温かく抱擁して慰める母親のように、一緒にたたずむ彼女の眼は優しいまなざしだったが笑顔ではなかった。
 どうして幼少期から31歳まで苦労の連続で、初めてオリンピックで念願の金メダルを取った選手がニコリともしないで、敗者を労われるのだろうか・・・。

 これが逆だったらどうだったか、皆様に想像はつくだろう。
 韓国選手に限らず外国選手というのは、ほとんどの場合、金メダルを獲得した瞬間、気が狂ったように喜び、横でがっかりと肩を落とす2位以下の選手の横を駆けずり回ってはしゃぎまくるのだ。そんなシーンは毎度おなじみの金メダルシーンである。
 だが、小平選手は違った。うれしい気持ちをグッとこらえて、はしゃぎもせず、なぜ敗者の気持ちになれたのだろうか・・・。

 そう、これこそが日本人の最も得意とする「謙虚さ」「つつましさ」「奥ゆかしさ」「遠慮深さ」なのだ。
 だが、これは日本人だけのものであり、外国人は理解できず、むしろ否定的に受け取るのだ。
 海外では、日本人が美徳とする謙虚さ、つつましさ、奥ゆかしさ、遠慮深さは、単に表面的につくろって、暗黙で何かを求めている卑しさ、または、ストレートにものをいえない自信のなさを表しているとみなされるのだ。
 例えば、プレゼントした後に「つまらないものですが・・・」とあなたもよく言うだろう。
 外国人の前でそんなこと言ったら大変だ。
 きっと「そうですか」と言って、そのままごみ箱に捨ててしまうだろう。
 よくあるのは、ビジネスプレゼンテーションなどで終わった後に「つたない説明で申し訳ありませんでした」などと日本人は必ず謝るが、これも危険だ。謝ったということは、ろくに勉強も研究もせずにプレゼンをしたのかとたしなめられ、聞く側にかえって不快感を抱かせてしまうからである。
 日本人なら、そのあとに「いや、そんなことはありません。分かりやすく立派でしたよ」とほめ言葉が返ってくることを期待したいところだが、外国の人は、そのまんまに受け取ってしまうのだ。

 さらに、そんな日本人同士のコミュニケーションをそのまま外国人相手に持ち出し、とんでもない誤解が生じるケースもある。
 家族が親しみを込めて自分の娘の旦那さんとなった新郎に対し「どうしてこんな子を選んだの? 何の取り柄もないのに」と言ったとする。
 娘は、それを侮辱ととらえず、笑って聞き流すだろう。しかし、日本人なら理解できる場面だが、外国人にとっては言葉通りにとって家族で娘を侮辱していると見てしまうのだ。

 なぜ、日本人だけが特別なのか?
 それは、日本人同士のコミュニケーションでは、島国同族の村社会的慣習が前提となっているからなのだ。
 日本人は、ストレートに言うことで、不要な対立を招くのを避けるために自然と謙虚にへりくだったりする習慣がついているのだ。
 あまり自己賛美をすると、いやがうえでも狭い社会で接する相手に対して、いざ対立が起こり険悪な関係になっても簡単に逃れられないから・・・

 大陸の多民族社会とは、そこが違うのだ。
 彼らの社会では、はっきりと言わないと通じず、曖昧にしたり、回りくどい表現をすると誤解が生まれ逆に対立を招くことになる。
 そんなことを心に留め、外国人と接するときは注意を心がけたいものだ。
 とはいうものの、小平選手の「謙虚さ」「奥ゆかしさ」は見ていて気持ちが良かった。
 私は、あのシーンを何度もネットで見ては、幸せな気分に浸っているのだ。
 誰かとけんかしても、きっとあのシーンを思い出すことで、反省し、優しくなり、気持ちも落ち着くことだろう。是非お勧めしたい。

 さて皆さん。こんな私のつたないコラムにいつもお付き合いいただき、本当に申し訳ありません。
 大したコラムではありませんが、おめめ汚しに、またお付き合いいただければ幸いです・・・

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年2月)

第165号 同じ行動すれば成功できない??

 昨日は久しぶりに東京も大雪だった。
 といっても、最大で積雪20センチということなので、北海道や東北に比べたら大したことはないかもしれないが、それでも東京で20センチというのは大騒動なのだ。
 まず交通が乱れる。人が滑って転ぶ。車はあっちでもこっちでも事故だ。
 会社なんて、雪と聞いただけでビビってしまい、すぐに早退命令の嵐。
 ということで、昨日の夕方は、朝晩のラッシュアワー以上の人が帰路に殺到して、またまた大混雑。
 東京の雪の風物詩は本当に情けないほど、ドタバタ劇なのだ。

 弊社もさすがに早退命令を出したが、なぜ人は雪の時に帰路を急ぐのか?
 急げば急ぐほど大混雑して、電車が止まったり、駅が入場を制限したり、いいことはないとなぜ気が付かないのだろうか?
 以前コラムで取り上げたB層の人たちも間違いなくそういう行動をとるだろう。

 だが、頭の良い人は、こういう時こそ夜の店に繰り出すだろう。
 一杯飲んで歌って、いい気分になったころに帰路につけば、電車もスカスカで、すぐに帰れるのだ。

 あの東日本大震災の時がいい例だ。
 国民のほとんどは、帰ろうとしてパニックになり、歩いて5時間も6時間もかけて大混雑の国道をただひたすらに歩いたり車に乗ったり、寒さと怖さに耐えながら夜中にやっと帰路に着いたはずだ。
 しかし、あの日、私の友人は帰路をすぐにあきらめ、ホテルもいっぱいだったので飲みに出かけたらしい。あんな日でもやっている店は数件あり、そこで朝まで飲むつもりだったとか・・。
 しかし、夜中近くに新幹線が出るということが分かり、さっと乗車して横浜まで30分程度で帰れたというのだ。
 ちょうど家に着いた頃、夕方必死になって歩いて家路を急いだ人と一緒になったそうだ。

 嘘のような話ではあるが、実はこれが人生の縮図なのだ。

 人生には、みなと同じ行動をした場合、決して幸せにならない(秀でることはできない)という法則があるのだ。
 特に芸術家や文化人、スポーツ選手やクリエーターは決してほかの人と同じ行動をとらない。

 実は私も小さいころから今まで、人と同じことをしないように生きてきた。
 小学生のころ、周りはみな「ジャンプ」という漫画を貪るように読んでいたが、私は一度も読んだことがなかった。
 同じく、小さいころから「紅白歌合戦」は見たことがないし、初詣にも行かなかった。
 さらに、行列には絶対に並ばなかったが、それは「疲れる」とか「面倒くさい」のではなく、みなが興味を示すと自分の興味がなくなる性格だからだ。

 私だけではない。
 ほとんどのクリエイターや成功している経営者は、子供のころからどこか「変わり者」だ。
 もちろん、私は決して成功しているとは言えないが・・・

 伝記を読んでも、テレビの偉人伝や回顧録を見ても、大概はそういう人だろう。

 なぜなのだろうか?? そう、そうしないと、アイデアは生まれないからなのだ!
 みなと同じことをしていると、みなと同じ発想となり、抜きんでたアイデアや発想は生まれないのだ。

 世界各国でも、同じような現象が見られるようだが、特に、日本では、「右にならえ」と言わんばかりに、みなと同じ行動をする人が圧倒的に多い。

 このような、みんなと同じ行動をすることを、社会心理学では、「同調行動」というらしい。
 同調行動には「自分の意志とは関係なく多数派の行動を真似する傾向」がある。
 5人で居酒屋に行き、1杯目はハイボールにしようと決めたとする。しかし、他の4人がビールを頼むと、ハイボールと決めた人も「やっぱり私もビール」となることが多い。これが多数派の行動を真似する同調行動だ。

 また、「自分の意志とは関係なく親密な人の行動を真似する傾向」もある。
 憧れの先輩がよく使う言葉を無意識的に使ったり、好きな芸能人が着ている洋服の傾向を好きになったりする経験をお持ちの方もいるだろうが、それが「親密な人の行動を真似する同調行動」だ。

 日本人が同調行動をするのは、「農耕民族だったから」「島国だから」「戦後の教育体制」など根拠となる背景には諸説あるが、長いものにまかれるのは古くからの日本人の特徴のひとつかもしれない。

 しかし、それでは、自分らしさを殺しているだけではなく、成功の鍵をみすみす逃していることと同じなのだ。

 なので、成功するには、それを克服しなければならないのだが、方法は下記の3つだ。
 1.そういう環境に近づかない  2.情報を遮断する  3.ストレスを溜め込まない

 以前のコラムで紹介した、日本をダメにした「B層」にならないための方法でもある。
 まず、はじめから同調圧力を感じる環境に近づかなければ、プレッシャーを感じることはない。そういう環境から思い切って関係を断つか、距離を置くようにすればよい。

 そして、テレビの電源を抜き、新聞をやめることも重要だ。無条件に入ってくる情報というのは、「周囲の人がやっている」というプレッシャーになるからだ。

 さらに、環境を変えることが難しい人は、ストレスを溜めない方法を見つけよう。
 信頼の置ける友人に話を聞いてもらうなど、ストレスを感じる現状を一人でためこまないことが大切だ。

 さて、実は私のコラムは以前から、読者が同調行動をとらないように少しずつ成功の道に誘導していることに気が付いただろうか?

 だって、たいていの日本人はこのコラムを読んでいないという行動に同調することなく、あなたは読み続けているじゃないですか!

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年1月)
過去のコラムはこちら(旧サイト)