第167号 認知症問題は国会にあるのかも・・・

 先日、判例を勉強するセミナーを聞きに行ったのだが、本当に考えさせられる事件で、いったい何が法律なのかわからないようなことがあった。
 それは、覚えている人も多いと思うが、2年前のJR東海事件の最高裁判決だ。
 平成19年12月7日、愛知県大府市で責任能力がない認知症の男性(当時91歳)が徘徊して電車にはねられ死亡。男性は当時「要介護4」の認定を受けていたが、同居していた当時85歳の妻らが目を離したすきに男性は外出していた。事故後、JR東海と遺族は賠償について協議したが合意に至らず、22年、JR側が「運行に支障が出た」として遺族に720万円の支払いを求めて提訴したあの事件である。
 認知症の家族が鉄道会社への賠償責任を負うかが争われ、明日は我が身と多くの人が注目していたのでないだろうか。

 結論から言うと、上告審判決で、最高裁第3小法廷が、男性の妻に賠償を命じた2審名古屋高裁判決を破棄し、JR東海側の逆転敗訴を言い渡したのだが、地裁、高裁、最高裁がすべて違う判決を下した前代未聞の事件かもしれない。
 争点は認知症高齢者を介護する家族の責任、つまり監督義務だ。
 民法714条では、認知症などが原因で責任能力がない人が損害を与えた場合、被害者救済として「監督義務者」が原則として賠償責任を負うと規定しているのだ。
 つまり、認知症の人が何か事件を起こしたら、家族が責任を負わされるというのが法律の原則なのだろう。
 なるほど確かに、認知症の人は徘徊したら何をするかわからないのだから当然と言えば当然だが、家族にとってはとても厳しい法律ともいえる。
 だから、1審の名古屋地裁は、法律通り「目を離さず見守ることを怠った」と男性の妻の責任を認定し、さらに同居していない長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通り720万円の賠償を命令したのだ。

 うーん、考えさせられるが、電車の人身事故は、利用者にとても大きな影響を及ぼし、多くの人に相当の迷惑をかけるのだから、それはそれで納得できる判決かもしれない。
 特にこのケースでは、別居といってもこの長男は、家族会議を開き、自分の奥さんを自分が住む神奈川県からお父さんの家の近くに住まわせ、介護をさせ、さらにお父さんの家にセンサーを付け徘徊を防止するなどして介護の方針を決定していたとされているのだ。
 しかし、認知症を抱える家族らから「同居していない家族に責任を負わせれば、家族による積極関与が失われ、介護の現場は崩壊する」と反発が出ていたのも事実。

 ところが、次の2審の名古屋高裁は「20年以上男性と別居していた長男は監督者に該当しない」として、長男への請求を棄却し、妻の責任だけを1審に続き認定し、359万円の支払いを命じたのだ。
 遠距離にいる人が監視できるわけがないのだから当然と言えば当然の判決かもしれないが・・・。

 でも、長男の妻はお父さんの介護者として世話をしていたのだから、長男の妻の責任が問われてもおかしくないが、実の父親ではなく、義理の父親ということで責任が問われないというのも、何だか日本的な感じがする。外国では考えられないだろう・・・。

 さて、2審は男性の妻であるおばあさんだけの責任を認定したのだが、おばあさんは同じく高齢の上、「要介護1」の認定を受けており「監督義務を負わせるのは酷だ」として、この判決にも世間の批判が多かったようだ。
 まあ、85歳のおばあさんに91歳のおじいさんの全責任を負わせるのは、いくら法律といってもやはり酷だろうと思う。

 でもって、最終的に最高裁が大逆転で、おばあさんにも責任がないと判断したのだ。
 3つの裁判を経て、最終的に責任者が誰もいなくなったという、大変珍しい裁判であった。
 ただ、この判決によって、認知症の人の家族の責任がなくなったわけではない。
 監督責任はやはり家族にあるのだが、遠くの家族と介護状態の家族が外されただけである。
 であれば、誰に責任はあったのか?
 鉄道会社にとてつもなく大きな被害を与えたのに、誰も責任を負わないというのもどうも腑に落ちない。
 長男の妻は近くにいたし、介護もしていたのだが、直系血族ではないからこれも除外か?
 となれば、監督者が存在しないということになる。
 果たして、監督者が存在しない認知症の高齢者が存在するということは法的に問題ないのだろうか?
 こうした問題は、おそらくこの家族だけのことではないだろう。

 というのも、厚生労働省は、認知症とその予備軍とされる「軽度認知障害)」の人口は862万人(65歳以上の4人に1人)存在すると発表しているのだ。
 もっというと、2025年には65歳以上の2人に1人が認知症またはその予備軍になると言われている。
 であれば、監督するものがいない認知症の人が数万人いや数十万人いるかもしれない。
 そう考えると、あっちでもこっちでも事件や事故が起きてもおかしくはないだろう。

 裁判の結果に喜んでいるよりも、こういう監督者のいない認知症の高齢者を減らす、若しくは無くしていく政策が必要だろう。
 それとともに、3つの裁判所がすべて違う判決を下したということからもわかるが、高齢社会における認知症患者の問題は、まだ始まったばかりなのかもしれない。

 これからもっと大変な問題、解決不可能は問題が出て来ると思うと、恐ろしくなってくる。
 くだらない問題で国会を空転させ、自己保身に走るような政治家は、このことを決して忘れてはいけないと思う。
 待てよ・・・。都合の悪いことはすぐに忘れてしまう政治家こそ認知症なのかもしれない。
 「記憶にございません」ではなく、早く認知して解決してほしいものだ。

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年3月)

第166号 日本人の奥ゆかしさって外人に伝わるの?

 平昌(ピョンチャン)オリンピックも無事に終わった。
 お隣の国だから珍しく寝不足にならなくて済むオリンピックなのはありがたいもので、競技を心置きなく楽しんだ人も多かったことだろう。
 しかし、このオリンピックのハイライトは何といっても、スピードスケートの小平奈緒選手ではないだろうか?
 金メダルを取ったことはもちろん素晴らしいが、それよりも彼女の金メダル確定後の行動が素晴らし過ぎる!
 今まで、オリンピックに限らず、たくさんのスポーツ競技を見てきたが、過去最高のシーンに巡り合えた気がした。
 その行動とは、スピードスケート女子500mで小平選手が金メダルを獲得した直後のことだ。
 開催地・韓国の国民的英雄である李相花(イサンファ)選手の「五輪3連覇」が未完に終わった瞬間、小平選手の金メダルが確定したわけであるが、日の丸を肩に掛け、歓喜に浸りながらウイニングランをしていた小平選手が足を止めたのは、韓国国旗(太極旗)を手にしながら泣きじゃくる李の姿を見つけたときだった。
 小平選手は神妙な顔をして李選手のそばにそっと近づき、なんと彼女を労わるような表情でギュッと李選手を抱きしめたのだ。
 その時、「チャレッソ(韓国語で『よくやった』の意味)、サンファ、たくさんの重圧の中でよくやったね。私はまだリスペクトしているよ」と彼女にささやいたらしい。
 李選手も小平選手に「ナオこそ『チャレッソ』よ」と返し、小平選手にしがみついたのだが、こんな行動は今まで見たこともない光景だった。うれし涙にくれる優勝選手をコーチや監督が抱きしめるのはよく見るが・・・。
 もともと彼女たちは仲の良い友人だったと後から知ったが、それにしても小平選手の行動は前代未聞のことではなかっただろうか。
 優勝した選手が、2位の選手を抱きしめて慰め、お互いをねぎらうなんて・・・。

 私が最もびっくりしたのは、その時、小平選手が全く笑っていなかったことだ。
 悔し涙にくれる娘を温かく抱擁して慰める母親のように、一緒にたたずむ彼女の眼は優しいまなざしだったが笑顔ではなかった。
 どうして幼少期から31歳まで苦労の連続で、初めてオリンピックで念願の金メダルを取った選手がニコリともしないで、敗者を労われるのだろうか・・・。

 これが逆だったらどうだったか、皆様に想像はつくだろう。
 韓国選手に限らず外国選手というのは、ほとんどの場合、金メダルを獲得した瞬間、気が狂ったように喜び、横でがっかりと肩を落とす2位以下の選手の横を駆けずり回ってはしゃぎまくるのだ。そんなシーンは毎度おなじみの金メダルシーンである。
 だが、小平選手は違った。うれしい気持ちをグッとこらえて、はしゃぎもせず、なぜ敗者の気持ちになれたのだろうか・・・。

 そう、これこそが日本人の最も得意とする「謙虚さ」「つつましさ」「奥ゆかしさ」「遠慮深さ」なのだ。
 だが、これは日本人だけのものであり、外国人は理解できず、むしろ否定的に受け取るのだ。
 海外では、日本人が美徳とする謙虚さ、つつましさ、奥ゆかしさ、遠慮深さは、単に表面的につくろって、暗黙で何かを求めている卑しさ、または、ストレートにものをいえない自信のなさを表しているとみなされるのだ。
 例えば、プレゼントした後に「つまらないものですが・・・」とあなたもよく言うだろう。
 外国人の前でそんなこと言ったら大変だ。
 きっと「そうですか」と言って、そのままごみ箱に捨ててしまうだろう。
 よくあるのは、ビジネスプレゼンテーションなどで終わった後に「つたない説明で申し訳ありませんでした」などと日本人は必ず謝るが、これも危険だ。謝ったということは、ろくに勉強も研究もせずにプレゼンをしたのかとたしなめられ、聞く側にかえって不快感を抱かせてしまうからである。
 日本人なら、そのあとに「いや、そんなことはありません。分かりやすく立派でしたよ」とほめ言葉が返ってくることを期待したいところだが、外国の人は、そのまんまに受け取ってしまうのだ。

 さらに、そんな日本人同士のコミュニケーションをそのまま外国人相手に持ち出し、とんでもない誤解が生じるケースもある。
 家族が親しみを込めて自分の娘の旦那さんとなった新郎に対し「どうしてこんな子を選んだの? 何の取り柄もないのに」と言ったとする。
 娘は、それを侮辱ととらえず、笑って聞き流すだろう。しかし、日本人なら理解できる場面だが、外国人にとっては言葉通りにとって家族で娘を侮辱していると見てしまうのだ。

 なぜ、日本人だけが特別なのか?
 それは、日本人同士のコミュニケーションでは、島国同族の村社会的慣習が前提となっているからなのだ。
 日本人は、ストレートに言うことで、不要な対立を招くのを避けるために自然と謙虚にへりくだったりする習慣がついているのだ。
 あまり自己賛美をすると、いやがうえでも狭い社会で接する相手に対して、いざ対立が起こり険悪な関係になっても簡単に逃れられないから・・・

 大陸の多民族社会とは、そこが違うのだ。
 彼らの社会では、はっきりと言わないと通じず、曖昧にしたり、回りくどい表現をすると誤解が生まれ逆に対立を招くことになる。
 そんなことを心に留め、外国人と接するときは注意を心がけたいものだ。
 とはいうものの、小平選手の「謙虚さ」「奥ゆかしさ」は見ていて気持ちが良かった。
 私は、あのシーンを何度もネットで見ては、幸せな気分に浸っているのだ。
 誰かとけんかしても、きっとあのシーンを思い出すことで、反省し、優しくなり、気持ちも落ち着くことだろう。是非お勧めしたい。

 さて皆さん。こんな私のつたないコラムにいつもお付き合いいただき、本当に申し訳ありません。
 大したコラムではありませんが、おめめ汚しに、またお付き合いいただければ幸いです・・・

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年2月)

第165号 同じ行動すれば成功できない??

 昨日は久しぶりに東京も大雪だった。
 といっても、最大で積雪20センチということなので、北海道や東北に比べたら大したことはないかもしれないが、それでも東京で20センチというのは大騒動なのだ。
 まず交通が乱れる。人が滑って転ぶ。車はあっちでもこっちでも事故だ。
 会社なんて、雪と聞いただけでビビってしまい、すぐに早退命令の嵐。
 ということで、昨日の夕方は、朝晩のラッシュアワー以上の人が帰路に殺到して、またまた大混雑。
 東京の雪の風物詩は本当に情けないほど、ドタバタ劇なのだ。

 弊社もさすがに早退命令を出したが、なぜ人は雪の時に帰路を急ぐのか?
 急げば急ぐほど大混雑して、電車が止まったり、駅が入場を制限したり、いいことはないとなぜ気が付かないのだろうか?
 以前コラムで取り上げたB層の人たちも間違いなくそういう行動をとるだろう。

 だが、頭の良い人は、こういう時こそ夜の店に繰り出すだろう。
 一杯飲んで歌って、いい気分になったころに帰路につけば、電車もスカスカで、すぐに帰れるのだ。

 あの東日本大震災の時がいい例だ。
 国民のほとんどは、帰ろうとしてパニックになり、歩いて5時間も6時間もかけて大混雑の国道をただひたすらに歩いたり車に乗ったり、寒さと怖さに耐えながら夜中にやっと帰路に着いたはずだ。
 しかし、あの日、私の友人は帰路をすぐにあきらめ、ホテルもいっぱいだったので飲みに出かけたらしい。あんな日でもやっている店は数件あり、そこで朝まで飲むつもりだったとか・・。
 しかし、夜中近くに新幹線が出るということが分かり、さっと乗車して横浜まで30分程度で帰れたというのだ。
 ちょうど家に着いた頃、夕方必死になって歩いて家路を急いだ人と一緒になったそうだ。

 嘘のような話ではあるが、実はこれが人生の縮図なのだ。

 人生には、みなと同じ行動をした場合、決して幸せにならない(秀でることはできない)という法則があるのだ。
 特に芸術家や文化人、スポーツ選手やクリエーターは決してほかの人と同じ行動をとらない。

 実は私も小さいころから今まで、人と同じことをしないように生きてきた。
 小学生のころ、周りはみな「ジャンプ」という漫画を貪るように読んでいたが、私は一度も読んだことがなかった。
 同じく、小さいころから「紅白歌合戦」は見たことがないし、初詣にも行かなかった。
 さらに、行列には絶対に並ばなかったが、それは「疲れる」とか「面倒くさい」のではなく、みなが興味を示すと自分の興味がなくなる性格だからだ。

 私だけではない。
 ほとんどのクリエイターや成功している経営者は、子供のころからどこか「変わり者」だ。
 もちろん、私は決して成功しているとは言えないが・・・

 伝記を読んでも、テレビの偉人伝や回顧録を見ても、大概はそういう人だろう。

 なぜなのだろうか?? そう、そうしないと、アイデアは生まれないからなのだ!
 みなと同じことをしていると、みなと同じ発想となり、抜きんでたアイデアや発想は生まれないのだ。

 世界各国でも、同じような現象が見られるようだが、特に、日本では、「右にならえ」と言わんばかりに、みなと同じ行動をする人が圧倒的に多い。

 このような、みんなと同じ行動をすることを、社会心理学では、「同調行動」というらしい。
 同調行動には「自分の意志とは関係なく多数派の行動を真似する傾向」がある。
 5人で居酒屋に行き、1杯目はハイボールにしようと決めたとする。しかし、他の4人がビールを頼むと、ハイボールと決めた人も「やっぱり私もビール」となることが多い。これが多数派の行動を真似する同調行動だ。

 また、「自分の意志とは関係なく親密な人の行動を真似する傾向」もある。
 憧れの先輩がよく使う言葉を無意識的に使ったり、好きな芸能人が着ている洋服の傾向を好きになったりする経験をお持ちの方もいるだろうが、それが「親密な人の行動を真似する同調行動」だ。

 日本人が同調行動をするのは、「農耕民族だったから」「島国だから」「戦後の教育体制」など根拠となる背景には諸説あるが、長いものにまかれるのは古くからの日本人の特徴のひとつかもしれない。

 しかし、それでは、自分らしさを殺しているだけではなく、成功の鍵をみすみす逃していることと同じなのだ。

 なので、成功するには、それを克服しなければならないのだが、方法は下記の3つだ。
 1.そういう環境に近づかない  2.情報を遮断する  3.ストレスを溜め込まない

 以前のコラムで紹介した、日本をダメにした「B層」にならないための方法でもある。
 まず、はじめから同調圧力を感じる環境に近づかなければ、プレッシャーを感じることはない。そういう環境から思い切って関係を断つか、距離を置くようにすればよい。

 そして、テレビの電源を抜き、新聞をやめることも重要だ。無条件に入ってくる情報というのは、「周囲の人がやっている」というプレッシャーになるからだ。

 さらに、環境を変えることが難しい人は、ストレスを溜めない方法を見つけよう。
 信頼の置ける友人に話を聞いてもらうなど、ストレスを感じる現状を一人でためこまないことが大切だ。

 さて、実は私のコラムは以前から、読者が同調行動をとらないように少しずつ成功の道に誘導していることに気が付いただろうか?

 だって、たいていの日本人はこのコラムを読んでいないという行動に同調することなく、あなたは読み続けているじゃないですか!

特定非営利活動法人国際ボランティア事業団 理事長
田園調布学園大学 講師 福島 達也
(2018年1月)
過去のコラムはこちら(旧サイト)